[fpr 894] 日心ワークショップでディベートを

守一雄

守@信州大学です。

市川さんご提案の「さんぽ」討論は別MLになりましたが、
討論が心理学の研究テーマとしても、心理学研究の発展のためにも
重要であることには変わりがないと思います。

数日前に、次回の日本心理学会でのワークショップのテーマさがし
も話題になっていました。統計的な分析法の吟味も心理学の基礎と
として重要ですが、討論も重要な研究技術の一つです。

そこで、「討論そのものをワークショップのテーマにしよう」という
提案です。

特にテーマにしなくても、本来、学会では討論がなされるべきものです。
しかし、現実にはあまり討論が盛り上がることはありません。
実は、『KR』という試みを始めたのも、議論・討論をもっと活発にしたい
という目論見からでした。
(このMLにだって、そうした意味があるのですよね。)
ただ、『KR』のほうも、議論は低調です。議論の始まりは批判からですから
あえて批判をしてみるのですが、批判への反論はめったにありません。
褒めた方からのお礼の反応はあるのですが・・・

最近、討論がなぜなされないのかについて、だんだんわかってきました。
討論は真剣勝負のようなものと考えられていて、討論することの意義は認めても、
負けるとひどい傷を負ったり、死んだりしてしまうと考えられているようなので、
ほとんどの人はあえて討論を好まないのです。

私は数年前から授業でディベートをやらせています。ディベートなら今の学生も
議論ができ、議論を楽しめます。
そこで、これを学会でもやりたいのです。

ディベートは「スポーツとしての討論」で、真剣勝負ではなく、「剣道」のような
ものです。これならば、負けても怪我をしたり死んだりしません。
剣道では竹刀を使い、防具をつけるように、ディベートでも「死なない」工夫が
なされています。
(1)あるテーマについて肯定派・否定派は機械的に決めます。
(だから、どっちが勝っても「テーマの優劣」そのものが決まってしまうわけでは
ありません。)
(2)時間制限があります。(だから、敗者に致命傷を追わせることにもなりません。
敗者に「時間がなくて負けた」という言い訳の余地も残ります。)
(3)勝ち負けの判定を議論の技術に絞って第三者がします。
(だから、負けた方も「人格まで否定された」ことにならないし、「学説」すべてが
否定されたことにもなりません。)
それでも、鋭い討論のやりとりを通して、理解が深まり、問題点も明瞭になります。

具体的には、「心理学研究論文にデータ処理の最低レベルを課すべきかどうか」などを
普段の持論とは無関係に賛成反対どちらかの立場に立って論じあったらどうでしょう。
プログラムにはテーマとディベート参加者だけを載せておいて、当日、くじか何かで
そのテーマについての肯定派と否定派に分かれることになります。

肯定派・否定派3人ずつに司会進行役1人の7人必要ですので、賛同者(参加希望者)
が6人以上いれば、具体的企画をします。





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守 一雄@380-8544信州大学教育学部学校教育講座(これだけで郵便が届きます。)
kazmori (at) gipnc.shinshu-u.ac.jp             電話 026-232-8106 内線454
『DOHC』『KR』発行元      Fax    026-237-6131 直通
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