南風原@東大教育心理です。 H. MIYAOKA, MD, PhD さんが以下のように書いています: > ある雑誌に掲載された論文の中に、「ある特殊な職業に従事する者300人(男20 > 5名、女95名)の現状を調査するために、アンケート調査を行ない、回収できたの > は160名であった。その中で、仕事中に事故の危険を感じたことのある者は男性で > は108名中62名、女性では52名中31名であった。」という記載があり、危険 > を感じた者の割合に男女差がないことをいうためにカイ2乗検定がなされています。 > しかし最初の300人は極めて特殊な職種であり、研究目的からみても全数調査と理 > 解されます。 > > このような場合、検定に何らかの意味を持たせることが可能ですか。 検定に限らず,確率モデルに基づく統計的推論を行うことに意味があるかという 問題だと思いますが,この観点から,データと「母集団」との関係を整理すると, 大雑把に,次の4段階に分けられるのではないでしょうか。 (1)母集団が明確に存在し,そこから無作為にデータをとった場合 (2)一般化の対象としたい母集団は明確に存在し,データは明らかにその一部 だが,データのとり方は無作為でない場合 (3)母集団が不明確なまま(あるいは母集団というものを意識することなく), 手に入りやすいところでデータをとった場合 (4)(ご質問の場合のように)関心のある対象の全てからデータをとった場合 もちろん(1)が問題の最も少ないケースですが,その場合も母集団分布の形状 や分散の等質性などの前提条件の問題は残ります。検定等の頑健性の問題は,ほ とんどの場合,この(1)の枠内で考えられているので,「頑健性が問題にされ るのは,検定等を行うことにほとんど問題がない場合である」という逆説的な言 い方もできます。 (2)以下は,いろいろな判断(あるいは「みなし」)を導入しないと,特定の 母集団からの無作為標本を前提とした通常の統計的推論は使えないことになりま す。たとえば(2)の場合は,「データのとり方は無作為ではないが,標本集団 の特徴は母集団の特徴と比較して特に偏りがあるとは思われないので・・・」と してそのまま分析を進めるか,あるいは標本集団の特徴に合わせて母集団の再設 定を行い,その母集団への推論を行うといったことが考えられます。(3)の場 合も,標本集団の特徴に合わせて,母集団を設定するということが考えられます。 いずれも「でっち上げ」と言ってしまえばそれまでですが,一方,「でっち上げ」 で良いなら(4)の場合も「母集団」を創造(想像?)することはできます。ご 質問の例では,ある特定の職業に従事している人がそれだけしかいないというこ とでしたが,たとえば,「同年代の多くの者がこの職業についたと仮定した場合 の仮想的なデータの集合」とか「過去や将来の従事者からなる集合」などを母集 団とみなすのは,(2)や(3)のケースと比べて「でっち上げ」の程度がひど すぎるでしょうか。 なお,データを得た後での母集団についての検討を,確率論的な推論を正当化す るために行うのではなく,得られた結果を一般化できそうな範囲についての非統 計的推論として扱うべきだという立場もあります(橘敏明 1997 確率化テストの 方法:誤用しない統計的検定 日本文化科学社)。いずれの立場にしても,そうし た検討は「過度の一般化」を防ぐためには必要なことだと思います。 あと,可能なのは,そうした架空の(しかし具体的な)母集団を作り出すのでは なく,得られた結果の解釈に,そのデータとは別世界の確率モデルの中で成り立 つ事実を参考資料として利用するということです。ご質問の例なら,「比率の等 しい2つのベルヌイ分布から,n1=108,n2=52の無作為標本をとるとき,標本 比率の差(特定の指標で測った差)が今回のデータで得られた差を超える確率p は,通常の有意水準よりかなり大きい」というのは事実として言えるわけです。 このことが結果を解釈する上で何らかの意味があると判断されるなら利用すれば よいということになります。これも,上の議論とは違う意味で hypothetical population に基づく議論とは言えますが。 ところで,差の検定のような基本的な検定の場合は,母集団と標本の関係に頭を 悩ますのに,多変量解析のような複雑な分析になると「母集団分布に多変量正規 分布を仮定」といったことが問題になりにくいのは何故でしょうね。 --- 南風原朝和 haebara (at) educhan.p.u-tokyo.ac.jp 〒113-0033 東京大学 大学院教育学研究科 TEL:03-5802-3350 FAX:03-3813-8807
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