[fpr 1563] 基本的なことですが

麓信義



 弘前大学の麓です。いつもは、数学的な議論でついていけないので、読むばかりでした
が、一般化の問題は哲学的問題ですので、少し議論に加えてもらいます。


> 我妻@岩手大学です。
>
> 新年明けましておめでとうございます。昨年に、私が質問した素朴な疑問について、
> たくさんの方がお答えくださってありがとうございます。
>
> その中で、金沢大学の岡本様は、私の疑問を次の3点に分けて、議論していただきま
> した。
>
> (1)数学モデルとしての統計モデル
> (2)データと統計モデルの関係
> (3)一般化
>
> この中で、(3)一般化について、岡本様は「 (3)は、母数モデルと変量モデル
> の区別として統計学的
> 問題として考えることもできますが、科学の方法論として考えた方がよいように思い
> ます。」と述べられています。私なりに、科学の方法論として考えると、標本により
> 得られた結果を一般化し、その一般性の範囲・限界を実証的に明らかにするには、標
> 本による追試を重ねていく必要があるように思われるのですが、いかがでしょうか。
> この方法には、いくつぐらいの追試を重ねていく必要があるのかという問題が内在し
> ますが、それは、それぞれの研究分野によってケースバイケースになると思います。
> 伊藤隆二先生は、「教育心理学の思想と方法の視座  -「人間の本質と教育」の心
> 理学を求めて-」(「教育心理学年報」Vol.35, 127-136, 1996)の中で、「これまで
> 教育心理学の研究者は自然科学者の厳密性に憧れ、「対象者」についての普遍性を求
> めたのであるが、同一の手続きで追試しても、先行研究から得られた結果と同一の結
> 果を得ることができない場合が多かった。」と述べておられます。もし、これが本当
> ならば、少なくとも教育心理学においては、一般化できる研究は少ないということに
> なります。今まで、追試という形態の研究は、非常に価値が低く評価されてきました
> が、上記のように、追試は標本により得られた結果を一般化する一つの有力な方法で
> あり、さらに、追試により得られる結果は先行研究の結果と異なる場合が多いという
> ことならば、追試という形態の研究は、少なくとも教育心理学においては、今までよ
> りも評価され推奨されるべきものになると考えられますが、皆様はいかがお考えでし
> ょうか。
>

 自然科学の厳密性との関係は、ジオルジが「現象学的心理学の系譜(頸草書房)」の中
で、「心理学は自然科学の歴史的発展の過程を模倣すべきであったのであり、心理学が登
場してきたときに存在した自然科学の存在を模倣すべきではなかった(訳本121ペー
ジ、原文92ページ)」と批判しています。254ページ(191ページ)にも、同様の
記述があります。
 私は、この考え方で研究していますので、仮説はあまり厳密に考えずに実験をしていま
す。2年ほど前、だいぶ前に教育心理学会で発表したデータをもとに、J.Experi
mental Child Psychologyに投稿したところ、仮説がよくわからないというコメン
トが返ってきました。上のジオルジを引用した反論を書いて再投稿するつもりで、原著も
見たのですが、まだ、そのままにしてあります。
 エディターのコメントの中に、Most American psychologists prefer a strong
theoretical approach and many (perhaps most) Japanese psychologists prefer an
emperical approach in which the facts speak for themsevfes. という下りがありまし
た。多くの日本の学者がempiricalなのは、議論を十分にできるほど英語が堪能でないた
めのような気もしますが・・・・。
 いずれにしても、行動を測定した結果がこうであったという実績の積み重ねがもう少し
重視されて良いと思います。医学などでは、実用的な問題もあるので、必ず追試が行わ
れ、それが論文になるようですが、心理学的研究では、まったく同じ課題と条件での追試
論文を見たことがありません。学会が、追試論文を必ず一つは載せる(たとえ同じ結果で
も、先着1名の論文は必ず「資料」として掲載する)というような方針を出すべきだと思
います。
 私もかつて、論文を発表し、翌年に追試をしたところ、有意差がない結果となった経験
があります。もちろんその論文は書いていませんから、私の初めの結果が真実として流布
しているわけです。実用的な、あるいは、何かに応用できるというような代物ではないの
で、そのままでもかまわないのですが、やはり研究のあり方としては問題だと思います。

 おもしろい問題ですので、少し紹介しておきます。この研究は、卓球の試合で公式練習
の後のサーブ権を巡ってどのようにじゃんけんをするかという行動の観察です。練習中は
ラケットを持っていますから、じゃんけんをする時に持ち替えて利き手で行うか、そのま
ま逆の手で行うかを観察しました。結果は、ラケットを持ち替える選手は、持ち替えない
選手よりも外向的だ(MPI)というものです。行動の恒常的な差だから性格を反映する
と考え、性格テストと結びつけたわけです。これは授業中の観察で、翌年もやりました
が、有意差はありませんでした。結果のでた年は女子ばかりで、翌年は男女混合クラスだ
ったこともあるので、条件が完全に同じではなく、前の結果が完全に否定されたわけでは
ありませんが、「じゃんけんの時に持ち替える人は外向的だ」という定説が一人歩きして
います。もっとも、この論文に注意を払ってくれた人はほとんどいないようですが(私の
別のアルコールとRTの実験論文は興味を引くようで、友人のゼミで何回もレポートされ
たそうです)。
 この場合の責任の所在を考えると、追試をしない加入学会員の責任、それを推奨しない
学会の責任、のほかに、5%レベルの有意差という制度にも責任がある気がします。私自
身、5%水準では再現性があるか心配だったのですが、右手でじゃんけんする方が攻撃
的・外向的な印象のある姿勢ですので、おもしろい結果だと思い報告しました。結果は、
「レクレーション的に卓球の試合をする全学生をじゃんけんする手で2分すると(もちろ
ん、手が決まっていないものは除外する)、ラケットを持ち替えてする群の外向性得点が
高い」という一般化を想定しているのですが、もし、実用的に(この意味は、書いてい
て????)一般化するのであれば、多くの追試が必要でしょう。あるいは、一般化して
この定理が使われるためには、思想や哲学の問題ではなく、使おうとする企業や集団や業
界団体が、追試をする形で一般化が認められていくのではないでしょうか。
 私の結果は、金になるものではないので、そのまま放置されているということでしょう
か。少なくとも害にはなりませんが、研究としては何らかのデータベースに蓄積されてい
きますので、研究団体として研究成果を評価して、良い研究発表だけを蓄積するシステム
が必要な気がします。そのシステムとしてレビュー論文や引用回数という評価方法がある
のだとは思いますが・・。

 少し論点がぼやけましたが、私なりの経験の基づく感想を述べさせていただきました。



+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
Japanse  
氏名  麓 信義   弘前大学教育学部保健体育科 教授
住所    036-8560 青森県弘前市文京町1
専攻 運動・スポーツ心理学
--------------------------------------------------------------------------------------------

English
Name    Fumoto, Nobuyoshi (Professor)
Major    Psychology of sport and physical activities
Address  Department of Health and Physical Education,
        Faculty of Education, Hirosaki-University
        1, Bunkyo-cho  Hirosaki, Aomori 036-8560   Japan
http://siva.cc.hirosaki-u.ac.jp/hotai/fumoto/fumoto.htm
--------------------------------------------------------------------------------------------

tel: 0172-39-3391  fax: 0172-32-1470  E-mail: fumoto (at) cc.hirosaki-u.ac.jp
+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++



スレッド表示 著者別表示 日付順表示 トップページ

ここは心理学研究の基礎メーリングリストに投稿された過去の記事を掲載しているページです。