[fpr 1803] きゃーるが鳴くんで

Toshio Yoshida

吉田@兵庫教育大学です。

言い訳がましいですが,9月末締め切りの,かなり責任のある立場の
原稿があって(まだ,最終的な推敲中ですが…),当事者でありながら
すぐにレスできなくて,すみません。
今考えていることを,以下に記します。

まず,私は,拙著において,「予測の役に立つ相関関係」と「原因
→結果の関係」を区別して認識してほしいためにカエル君の話を
出したのであり,「カエルの鳴きの有無」と「天気」の間の相関関係を
示すことが有用ではないとは(当初から)思っていないつもりです。
文脈上&ちゃかした表現のため,「おもしろ可笑しく揶揄して,
ネガティブに扱っている」ように受け取られてしまう面は
あるかもしれませんが,実際“予測の役に立つ”と記しています。
また,「心理統計」という文脈をプンプン臭わせておいて
一貫していないと言われるかもしれませんが,
この例は,あくまで上記の目的のためのものであり,
なんらかの心理現象を説明するためのものとして提示したわけでは
ありませんでした。そして,豊田さんのコメントを読んでいると,
豊田さんは,この例に関して,“雨が降ることを予測し,それに基づいて
なんらかの行動(傘を持ち歩く,など)をする人間の心理過程に関する
因果モデルを想定されているように思われます。
そのような意味ならば〔すなわち,「カエルの鳴き(気圧計の振れ,
でもいいです)の知覚→雨の予期(→傘の携帯)」という流れなら〕,
因果関係という言葉を使うことに私も違和感はありません。
そして,そのような文脈では,予測の精度や効率の問題は別にして,
カエルの鳴き(の知覚)と気圧計の振れ(の知覚)は
確かに同等だと思います。

次に,
************************
「知能」100,「経済力」年収800万と統制し
て附属とそうでない進路の比較をして差が見出され
たら教育実践的な因果関係が確認されたと思います
か?

否です.「知能」100,5,「経済力」年収83
0万だったら差が見られるのか?「知能」110,
「経済力」年収780万だったら差が見られるのか
?という問いには答えられません.統制研究は統制
した変数の実験しない水準の値が変化した場合に関
して,厳密には何の知見ももたらしません.統制す
る変数は実はたくさんあるから,それらの水準が変
わった場合の影響は統制研究は,厳密には何も応え
てくれない.

観察研究は因果関係を確認するには不十分である.
因果に迫るためには第3の変数の影響は実質科学的
に考察しなければならない.

統制研究は因果関係を確認するには不十分である.
因果に迫るためには統制した変数の実験しない水準
の影響は実質科学的に考察しなければならない.

観察研究と統制研究は,イーブンです.どちらが優
れているという問題では在りません.

因果関係の確認に関して,観察(相関)研究の欠点を特別に
強調して説明するのは初心者教育として間違っています.決
まり文句としての手垢のついたステレオタイプをコピー・流
布しているだけです.

因果関係を確認するには統計的方法だけでは不十分である,
ことを,まず教えて,色々な方法の長所と短所をバランスよ
く論じるべきです.相関も統制もランダム割り付けも因果関
係に迫るための,それだけでは不十分な役割の違った道具・
武器なのです.

PS 無作為化も役割の違った道具・武器の1つです.
*************************
などの部分に関わることですが(長い引用ですみません),
以上のようなことは十分に(ある程度は?)認識しているつもりです。
また「手垢のついたステレオタイプ」的記述だとご批判を
受けるかもしれませんが,拙著の 245-247ページや,
広島大学の森敏昭さんとの共編の
『心理学のためのデータ解析テクニカルブック』の 263-265ページ
などにおいても,このようなことは述べています(不十分な面や
多少の偏りはあるかもしれませんが…)。
私も,心理学の研究におけるどのような方法も1つの攻め方であり,
かつ,通常,構成概念を相手にしていることや,
多くの変数が複雑に絡み合っているであろうことなどから,
問題のない方法などはあり得ないと思っています(学生にも,
常々,そのように話しております)。
ですから,それぞれの長所,短所(特に短所)は,
それぞれの著書の目的との関連性を考慮し(言い訳がましい
かもしれませんが,今回の拙著は,あくまでデータ分析の段階を中心に
解説しようとしたものです),かつ,紙面が許す限り,
なるべく一面的にならないように論じるべきだとは思います〔確かに
拙著の内容は“バランスがいい”と思っていただける水準には
なっていないかもしれませんが,上記以外にも,172-173 ページの
交絡の問題なども含め,統制研究(実験的研究)の問題点についても,
基本的な事柄は,紙面の許す範囲でかなり記したつもりです〕。
そして,月並みな主張ですが,研究法を固定するのは本末転倒であり,
基本的には,極力マルチにアプローチすべきだと考えています(もちろん,
特定の方法しか適用できない,ないし,できにくい
研究テーマは多数あるとは思いますが)。
ただし,曖昧な論になってしまうかもしれませんが,ある変数Xが
別の変数YにX→Yという方向で影響を及ぼす(ないし,及ぼしている)
ことを確認していく上での統制研究と観察研究の長所・短所を
秤に掛けた場合,私としては,やはり,統制研究の方が better では
ないかと考えています。というのは,第3の変数(剰余変数)の
恒常化に伴う問題やランダム・サンプリングがなされていないことに
伴う問題は,(もちろん完全ではないにしても)様々なケースで
研究を積み重ねていく(単一事例研究において系統的リプリケーションと
呼ばれている追試研究を行なっていく)ことにより,ある程度は
克服できる(曖昧な表現ですが,上記のような積み重ねによって
ある程度のデータが蓄積された時点で,一般論としての結論を下しても良い)
ことだと考えています(この辺が,豊田さんの言う「実質科学的な考察」
ということに対応すると思うのですが…)。それに対して,観察研究の方は,
研究を積み重ねることが問題の解消につながる程度といった面で
弱いように思うのですが。
以上のことについては,かなり異論があろうかと推察いたします。
ご批判ください。

ところで,豊田さんに1つお伺いしたいことがあります。仮に,
豊田さんが最初のメールで記されていたように(結果的にとは言え)
拙著の内容が「1950年代の米国の行動科学の教科書の直輸入」だとして,
その行動科学の教科書に書かれていた因果関係観というものは,
それ以降の新しい考え方に完全に論破されたのですか?
もし,そうであるならば,どのような理由で論破されたのですか?
適当な文献を教えてくださるだけでも結構です。ご教示ください。
何も新しいことが常に正しい(ないし,望ましい)わけではないでしょうし,
私としては,拙著に記したことの多くは現在も(私を含めた)多くの初学者が
留意しておくべき,基礎・基本的な事柄だと考えています。
そして,一心理学者(統計の一ユーザー)として数多くの研究に接している中で,
拙著の 88-91ページに示したような事例を典型として,あまりにも基礎・基本を
忘れていると判断される,安易・選択的・一面的な因果推論をしている研究が
散見されることから,因果推論に関する基礎・基本的なこととして
大切だと考えられる事柄について,多くの事例に接しているユーザーとしての
持ち味を出して,なるべく理解してもらえやすいように私なりに工夫をして
書いたつもりです。ですから,学問的に新しいことを書こうなどとは
最初から考えておりません。前出の広島大学の森さんにお叱りを受ける
かもしれませんが,『心理学のためのデータ解析テクニカルブック』も
基本的には同様の著書だと(日頃から)認識しています(人にも,
そのように申してきました)。それまでに世に出ていたことから見て
新しいことを論じたのではなく,あくまでユーザーの立場で(わからない人たちの,
わからないところを,わかることができるように努力して),統計の適用の仕方に
ついてのわかりやすい解説を試みたものだ(に過ぎない)と思っています。
しかし,「手垢のついたステレオタイプ」的な内容であろうと,
現在の我が国の心理学の研究の現状を鑑みるならば(庶民感覚では,´`),
基礎・基本についての再考を促す著書は(も)必要ではないかと考えます。

余談)今回の豊田さんのメールを読んでいて初めて気がついたのですが,
  “雨○らよ”は“ずら”が正しいのでしょうか?
  私は,(静岡県出身者であるにもかかわらず)よく考えずに
  “づら”と表記していました。







スレッド表示 著者別表示 日付順表示 トップページ

ここは心理学研究の基礎メーリングリストに投稿された過去の記事を掲載しているページです。