岡本@日本女子大学です。 「[fpr 1966] 発想の転換」は、measurementにおけるrepresentationの 問題とデータ解析における解釈の問題を混同していると思います。 鈴木さんは、どちらかというとrepresentation(meaningful)の問題として 問題提起されたのだと思います。 >では、(規準化したとしても)そもそも次元が違う数値の和に意味があるか、と >いう問題ですが、ここでハマっちゃう人が多いようです。 >・・・ >・・・数学的には基底変換といわれるものです。 数学的な操作である任意の基底変換に常に具体的な操作が対応するのか ということが問題です。リンゴとミカンの例の場合、基底ベクトルの 成分が無理数のときはどのように解釈するのか。たまたまもっともらしい 解釈ができる例によって納得しても、それは恣意的誘惑にハメラレタ という危険があります。 データ分析において、ベクトルによって個人差を表す選好モデルなどでは 異種次元間の加算を行います。しかし、この場合とmeasurement theoryにおける representationの問題、すなわちmeaningfulの問題と混同してはいけません。 鈴木さんは、南風原さんの「数字はそんなこと知らないでしょ」を 引用なさっているので、データ分析において数値の操作の事物における意味に こだわり過ぎることの害についても自覚なさっていると思いますが、 数字のお遊び的感じの強いデータ分析には、「結果がよければ何でもありか」 と疑念を提示されたのだと思います。 順序尺度化あるいは順序値に変換することの統計学的意味、そして そのときの順序尺度の和の少なくとも統計学的意味、などに対する 理論的サポートが求められているのではと思います。個々の分析例における もっともらしい解釈は現場のプロなら簡単なことでしょう。しかし、 それはケース・バイ・ケースのその場しのぎの解釈(発想)です。 日本女子大学心理学科 岡本安晴
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