[fpr 2232] 「傾向差」は統計用語?

Y.Hasegawa/

池田先生、どうもありがとうございました。

<20021004134903.DGK4163.mpb2.plala.or.jp (at) purple.pbs.plala.or.jp> の、
   "[fpr 2231] Re: 「傾向差」は統計用語?" において、
   "Mitsuru Ikeda <manchan (at) purple.plala.or.jp>"さんは書きました:

>
> 本質はどの程度の水準を認めるかということであり、その解釈を言語を
> 用いて表現するのは、あくまでも研究者の解釈に過ぎないと思います。
> 非常に条件統制をした実験的研究においての5%水準と、変数統制が困
> 難なフィールド研究による5%では、持つ意味が違ってくることもあり
> うるわけです。

昨日の投稿でちょっと悪のりしてしまいましたが、今日のWeb日記(10/4)で、
20%水準を許容したらどうなるだろうか、とちょっと考えてみました。
その一部を引用させていただきます。

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Y.Hasegawa/長谷川芳典
岡山大学文学部心理学教室
http://www.okayama-u.ac.jp/user/le/psycho/member/hase/h0u.html
http://www4.justnet.ne.jp/~hasep/WELCOM.HTM


==============以下引用====================================================
 そもそも統計学でいう有意水準というのは便宜的に定めたものであって、1%でも5%で
も10%でもよいのであって、これは 、第一種、第二種という2つの過誤を勘案しながら、
メリットとデメリットを天秤にかけて決めるべきものである。 

 例えば、ある健康食品に重大な副作用があるかもしれないという疑いが生じた時は、使
用群と不使用群で20%水準の有意差があればとりあえず使用を禁止すべきであろう。なぜ
なら、誤って有害でないと判断した時に想定される被害よりも、誤って安全であると判断
してしまった時の被害のほうが重大であるからだ。 

 これに対して、同じ食品に癌の抑制効果があるかどうかを判定する場合には、もう少し
水準を厳密化する必要がある。なぜなら、それを手に入れるにはそれなりのコストがかか
るし、すでに有効性が確認されている他の治療法に代えてそれを採用するには、それなり
の根拠が求められるからである。 

 では心理学の研究の場合はどうだろうか。いっぱんに学術雑誌に採択されるためには、
統計的に有意差があるような結果を出さなければならない。それゆえ、研究業績の競争が
厳しくなればなるほど、研究者たちは、有意差を出すことに莫大なのエネルギーをそそぐ
ことになる。 

 そこで、もし、有意水準を5%ではなく20%に変えてみたら、研究の進め方にどんな変
化が起こるだろうか。 

 当然のことながら、もし20%に変えればその分だけ、帰無仮説は棄却されやすくなる。
これに伴って、「本来は偶然であるのに差があると判断してしまう誤り」も増大してしま
うことになるが、じゃあ、そのことで心理学の研究は重大な損失を被るだろうか。 

 まず、マイナス面として考えられるのは、研究の情報的価値の1つである確実性が低下
し、いろんな珍説が登場してくる恐れである。血液型性格判断などでも、やれ「A型には
長電話する人が有意に多かった」とか、やれ「B型は頻繁に電話をかける人が有意に多か
った」(←いずれも仮想)というような調査結果がどしどし報告されるようになるだろう。
透視能力の検証実験なども、有意であったことを理由に投稿されるかもしれない。 

 しかし、仮にそういう報告がポコポコと現れてきたとしても、一貫した傾向や体系性が
示されなければ学問としては発展しない、上記の例で、「A型には長電話する人が20%水
準で有意に多かった」という結果が偶然によるものでないとするなら、「じつはB型のほ
うが長電話する人が20%水準で有意に多かった」というような結果は殆ど報告されないは
ずである。もし2種類の相反する報告が同程度に出てきたら、あるいは大半の調査で「20%
水準でも差なし」と報告されていたら、けっきょくは、全体として偶然的変動の範囲であ
ろう、「有意差」が出た結果だけをつまみ喰いして自分に都合のよい解釈をするのは無意
味だ、というように総括されることになる。 

 であるならば、個別の研究における有意水準を20%に設定しても、心理学が間違った方
向に発展することはまずない。デメリットがあるとすれば、個人あるいは研究グループ内
において、偶然に生じた結果を意味のあるものと勘違いしてさらに精力をそそぎ、結果的
に不毛な結果に終わる恐れが大きくなるというだけのことだ。 

 いっぽう、有意水準を20%に設定するということにはポジティブな面もあるはずだ。5%
水準の場合よりも「有意差」が出やすくなることによって、被験者集めに要する労力は大
幅に緩和されるだろう。これにより研究者は、次のテーマにより早く取り組むことができ、
総合的にみて生産的な研究ができる可能性もある。どっちにしたって、1回の実験や調査
だけで研究を体系化することはできない。いろいろ条件を変えて実験したり、対象を変え
て調査していけば、偶然的な偏りのようなものはトータルで排除できるのではないかと思
ってみたりする。 

 ま、いずれにせよ、「傾向差」などというエエ加減な造語を使って自説に有利な論を展
開するのはヤメテもらいたいものだ。そういう言葉を使うぐらいだったら、堂々と「有意
水準20%で有意差があった」と主張すべきである。 


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