[fpr 242] グールドの考え方について

堀啓造

堀 啓造@香川大学経済学部です。

佐藤達哉@福島大学行政社会学部さん回答どうもありがとうございます。
しかし、私の指摘している点については特に意見はないようですね。


>グールドは、因子の実在化に対して反対しています。その一方、多様なプロフィー
ル
>で個人を記述することには一定の意義を認めています。

実在化への反対はまあ、理解できるのですが、実在化ということばがなにを意味し
ているのかについては不明ですね。「物理的実在」とか「具象化」という言い方も
してますね。心理学的には知能は機能(はたらき)ですから実体ではないですね。

p300 グールド『人間の測りまちがい−差別の科学史』河出書房新社
>実際に、その主要な誤りには、本書のテーマである具象化が含まれていた。すな
>わち、
(1)
>知能のような、漠然とした社会的に限定された概念が脳の一定部位にあり、
(2)
>ある程度遺伝しうる一つの「もの」として認められるという考え、
(3)
>また、それが一つの数値として測られ、
(4)
>したがって、それを所有する量によって人々を直線上にランクづけられるという
>考えである。

(1)(2)の問題と(3)(4)の問題はかなり違う部分が含まれています。因子分析のお話
は(3)(4)に関したことですから、(1)(2)については議論からはずしましょう。

といいながら、(2)についての最近の行動遺伝による遺伝論の大復活というのはなん
なんだろうかという最近の風潮には疑問をなげかけておきましょう。
もう一つ、知能というのは測定ごとに結構変化するという話。そして、その変化は
意欲・知的好奇心と結びついているのではないかという波多野誼余夫「知力」など
も知能固定説に対する反論になっているので、単純遺伝論はすでに反駁されている
のではないか。という点は指摘しておきます。

(3)(4)は心理測定とかかわりのある人には無視できない大きな問題を抱えています
。

これは利用の問題も含まれています。高校進学の偏差値問題は数字を絶対化した挙
げ句の果ての高校ランク絶対化だったのではないでしょうか。数字の神格化が行わ
れています。標準テストや知能テストよりもテスト的に劣るはずのものでこのよう
なことが起こるのですから、恐ろしいことです。
 知能テストもテストの数値を絶対化するのは危険です。ビネーは学校にいかせな
い母親を説得する材料として知能テストをつくらされたという話をよんだことがあ
りますが、今は知能指数90以下だと半自動的に特殊学級(?)に入れさせるとい
使い方をしている小学校もあると聞きました。単にこのようなことに使うなら、知
能検査作成者は原爆作成者と同じく弾劾されるべきものでしょうね。

 たまたま手に入れた Compton's interactive encyclopedia for windows. 
1995ed. の知能テストの解説ではテスト結果の見方という項があり、(a)学年によっ
て変動する、(b)知能テストの種類によって変動する、(c)潜在能力ではなく現在の
能力を測っている等の注意を入れている。さらに、注意深い検査官は105と記載
せず、100−110と範囲をかくと指摘している。このように数値の絶対化とい
うのは利用者側の問題としてもあることに注意を払うべきである。

さて、テスト作成者ならびに利用者の心理学の人はどう考えているのでしょうか。
(3)(4)に関してはかなり頭のいたい問題があるでしょう。それをごまかすために集
団間の差などをいっているともいえます。しかし、知能テストでは集団間の差につ
いての議論そのものがかなり問題視されるのです。これは別の問題ですが、テスト
で集団間の差を測るという思想そのものが問われているのです。もっとも男女差は
しばしば修正の道具にされているようです。

(3)(4)問題について、是非心理測定を専門としている方および日常テストを使って
いる方に知能テスト以外の測定についてお答えいただきたいですね。

長くなったので以下次号。

香川大学経済学部
        堀 啓造
hori (at) ec.kagawa-u.ac.jp

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