[fpr 654] 行動遺伝学

豊田秀樹

豊田@立教大学社会学部です

安藤氏(慶応大学)の行動遺伝学に関する論文について,守氏と無藤氏(お茶大)
より疑問・意見が寄せられているのをKRのWWWで見つけました.幾つか応答
および意見を述べます.なおこの文章はKRとFPRの両方に投稿します.
FPRについては
http://www.nuis.ac.jp/~mat/fpr/index.html
を参照してください.

まず,守氏の発言
http://zenkoji.shinshu-u.ac.jp/mori/kr/kr0204a.html
に意見を述べます.

守> 疑問点(1)「人間行動遺伝学が扱うのは、遺伝と環境の、ある集団内の個人差への
守> 相対的効果の大きさである[3]」という主張は認める。しかし、それは遺伝の「絶
守> 対的重要度」を否定することにはならないのではないか?その論拠として2点を挙
守> げたい。まず、行動遺伝学が「集団内の個人差」を研究していて「遺伝が頭の良さ
守> を決めているかどうか」を研究しているのではないことは確かである。だから個人
守> 個人で考えるならば、環境からの働きかけで個人の能力が力動的に変化する可能性
守> があることが否定されるわけではない。だからIQが個人内評価としてだけ論じら
守> れるのであれば、これでなんの問題もない。しかし、現代社会において「頭の良さ
守> 」は「偏差値」に代表される相対評価でなされる。「頭の良さそのものではなく、
守> その差を問題にしているだけなのだ」と行動遺伝学者は言うだろうが、世間で問題
守> にされているのも、頭の良さそのものではなく、その差なのである。そこで、その
守> 差の大半が遺伝によるとすれば、やはり「絶対的重要度」が高いと言わざるをえな
守> いのではないだろうか。

ご指摘は,まったくそのとおりです.賛成します.たとえば「遺伝の影響が0では
ない」という「科学的な証拠」は,試験の成績が同じであるときに,家柄のよい人
を入学させる論拠にもなり得ます.そうする人間を私は軽蔑しますが...
しかし遺伝からの影響を確かめないでおくと,人間は,その影響力を恐れ実態より
過大にその影響を評価してしまう傾向があります.見たいのに,隠し,タブー視し
ているものほど,強大に・神聖に感じるものです.現代社会において家柄や血筋な
どというものを大事にしたがるような人々には,むしろ行動遺伝学の研究成果をは
っきり見せた方がいいのです.

その上で悪用する人は,社会的に精細を加える.悪用をおそれて,未知(無知)な
状態にしておくのは本末転倒ですから.また,無藤氏への応答で後述しますが,行
動遺伝学の研究成果は偏見を取り除く効果があります.これが大事です.

守> 疑問点(2)「非共有環境」とは何か?安藤(1992)では「非共有環境」の相対的重要
守> 性が強調される。しかし、これは本来「誤差」のことではないか。これを「非共有
守> 環境」と名付けることによって「環境要因」の影響を不当に大きく見せようとして
守> いるのではないか。(プロミンの本では非共有環境と誤差が別になっているが、両
守> 者を分離する手続きは示されていない。)非共有環境の要因を誤差として取り除い
守> て考えると、遺伝要因の相対的重要性はずっと大きくなる。これは疑問点(1)につ
守> ながることになる。

これもご指摘のとおりです.プロミンの本で非共有環境と誤差が別になってい
るのは,たぶん,まず観測変数の信頼性を推定しておいて(これをaとする)
「誤差」=1ーa
「非共有環境」=VAR[E]-「誤差」
と計算しているものと思われます(本に書かれていないのもご指摘の通りです
)ただし不当に大きくという動機ではないのです.たとえていうと因子分析を
して,我々は「独自分散というけど,これは本当は独自分散と誤差分散の和だ
ろう.これは独自分散を不当に大きく...」などとは,いちいち言いません.
因子分析のイロハだからです.上記のことも,ご指摘は理論的には「そのとお
り」なのですが,それはコンセンサスなのです.

守> 疑問点(3)「遺伝の要因」には「直接的影響・交互作用的影響・相関的影響」があ
守> るという。前述の安藤(1996)では「相関的影響」を操作的に分離することが難しい
守> ため、前2者だけを検討しているにもかかわらず、全体から遺伝的要因の効果を差
守> し引いたものが環境要因(上述の非共有環境要因も含む)となっている。ここでも
守> 環境の要因を不当に大きく見せる意図があるように思える。

最新の行動遺伝学の多くの論文は構造方程式を個別に作り,共分散構造分析を
していますから,個別の論文の具体的な方程式を参照せずに,「直接的影響・
交互作用的影響・相関的影響」などといっても,生産的な議論はできません.
論文によって意味が違うからです.

全体的に大まかにいうなら「遺伝の相関的影響」は,「責任のない傍観者」に
とっては遺伝要因だし,「教育者」にとっては環境要因であると思います.

次に,無藤氏発言
//zenkoji.shinshu-u.ac.jp/mori/kr/muto161.html
に意見を述べます.

無藤> プローミンなどのデータを見る限り、発達に対して遺伝的影響が強いこ
無藤>とは疑えません。個人差の分散の半分くらいを様々な人間の特性について説明し
無藤>ています。もちろん、現在の社会の通常の環境的散らばりを前提としての調査で
無藤>あることは言うまでもありませんから、半分くらいというのは絶対ではなく、個
無藤>人の遂行を予測するほどの強さではありませんが。

プロミン以外の論文では,必ずしも遺伝的影響が強くない特性もたくさん見つ
かっています.たとえば私が今現在分析してるデータからも,遺伝の影響をう
けない特性が発見されています.

半分くらいというのは,重相関係数に換算して0.7以上です. 強い弱いは,主
観的な表現なので議論はしませんが,その10分の1以下の説明率(重相関で
0.2)でも発達心理学研究では重要な指摘であることがあります.

無藤> その上で、こういったデータが学校教育に対して何か意味を持つのかを考えた
無藤>いと思います。例えば、ジェンセンは以前に黒人に対して白人とは別の暗記・ド
無藤>リル中心の教育を行うことを提言して、社会的センセーションを巻き起こしまし
無藤>た。

安藤氏は,人種差や集団差を研究していません.また,そのような研究方針でな
いことを論文の中で文章として明言しています.それなのに何故,「意味を持つ
のか考え」るときにジェンセンの例を引くのでしょうか?差別的な社会的影響を
与えたジェンセンの例をここで引くと,安藤氏の論文に対する読者の印象がアン
フェアに悪くなる恐れが多分にあります.日本の心理学者は,非生産的なジェン
セン・バートコンプレックスから卒業する必要があるし,その時期が来ています.

無藤> 少なくとも現在までのところ、遺伝的特性に応じて教育の仕方を基本的に変え
無藤>ることが有効だという調査はありません。障害として同定される場合を別として
無藤>、正常の範囲においてはあまりに数多くの様々な特性があるので、集団として教
無藤>育方法を変えることは適切でないし、個人毎に診断するのも無理です。要するに
無藤>、出来るのは全員共通の教え方と個人毎の扱いの何からの組み合わせでしょう。

有効だという論文の実例を示すことは可能でも,「有効だという調査はありませ
ん」とは論理的にはいえません.たとえビヘイビアジェネティクスを全巻読破し
てもです.真偽はどうかといえば,有効な教育的知見を行動遺伝学は提示してい
ます.

また,ここの文章は行動遺伝学ではなく,ATIの研究がそれほど有用ではない
といっているように読めます.クラスを分けなくても,教師がATIに関する知
識を持っているだけで,教育上役に立つと私は思います.それが行動遺伝学から
の知見でも同じ事です.

無藤> そもそも、遺伝的な影響が個人差の分散の半分くらいを説明するということは
無藤>、原理的には通常の意味での教育とは無関係です。なぜなら、教育は各々の人に
無藤>最小限の社会的常識(読み書きやら社会的参加への態度やら文化的常識やら)を
無藤>習得させ、かつ各々の学力を伸ばすことにあります。そこでは本来的に個人差を
無藤>解消することが求められていませんし、追求されてもいません。簡単に言えば、
無藤>「頭のよい」子が「頭の悪い」子と同一の学力水準を達成することは求められて
無藤>いないはずです。必要なことはたとえ「頭が悪い」といっても最小限度の学力を
無藤>達成すべきことであり、その上で、各々が自分の力をさらに伸ばせることのはず
無藤>です。

2行目の「なぜなら」以降は全く賛成します.しかし「遺伝的な影響が個人差の分
散の半分くらいを説明するということは、原理的には通常の意味での教育とは無
関係です。」の理由にはなっていません.無関係では有りません.

無藤>経験的に言っても、頭のよい子を無理矢理足止めさせない限り、どんな教
無藤>育方法もうまくいってすべての子どもを伸ばすのに成功するのであり(元の個人
無藤>差を消さない)、悪く行けば、頭の良い子だけが得するのです。

「悪く行けば、頭の良い子だけが得するのです。」とは何を意味しているのでしょ
う.第1に安藤論文とどう関係するのでしょう.また主張それ自体が解りません.

無藤> 分散の半分くらいというのは、確率的な予測ですから、頭が悪いとされた子が
無藤>その後の環境や努力によりさらには運に恵まれれば、頭のよいとされる子に追い
無藤>つきまた追い越すことは十分にありうることです。しかし、頭の悪いとされる(
無藤>その基準が何であれ)子が統計的な集団として頭の良い子に追いつくことは強制
無藤>収容所でも作らない限りあるいは中国の文化大革命のように「下放」しない限り
無藤>無理でしょう。ですが、そこで言う集団とは、統計的な集団であり、特定の実体
無藤>としての集団ではありません。特定の実体としての集団を取れば必ずその中に頭
無藤>の良い子も悪い子もいて、もし集団的に遂行が著しく悪いならば、その原因が環
無藤>境側にあるのは当然のことです。

観測変数(表現型)の分散をゼロに近づけることが,望ましい状態であるとは,
だれもいっていない(思ってもいない)のだから,このような議論をすべきでは
ありません.

無藤> では、日本において個人差を説明するのに遺伝がある程度効くのだという信念
無藤>は存在しないのでしょうか。伝統的には確かにあったと思われます。瓜の蔓には
無藤>なすびはならず、蛙の子は蛙、なのです。その逆もあって、氏より育ち、とも言
無藤>います。

無藤> 現代ではどうなのでしょうか。親が頭がよければ子どもも頭がよいという想定
無藤>は生きているのではないでしょうか。不愉快なことですが、親が東大を出ていれ
無藤>ば、子どもも出るのが当然といった見方があります。子どもがそれで苦労するケ
無藤>ースもあります。東大に入ることが頭のよいことの証かどうか疑わしいのですが、
無藤>もちろん、頭のよさも多少は効いているには違いないでしょう。

親子の観測変数(表現型)の相関の高さは,ご存知のように,必ずしも遺伝の
影響の強さをあらわすとはいえないのです.行動遺伝学的な視点を持たないと
,一般には,これを遺伝の影響と考えてしまい,偏見が生まれます.行動遺伝
学のパラダイムこそが,見かけ上の間違った過剰な遺伝的影響を排除するので
す.また「遺伝の影響はない(こういう特性もたくさんある)」という結論も
行動遺伝学のパラダイムで示すことができます.他の方法では社会的な実験(
多くの場合それは悲劇で)が可能な場合を除いてほぼ不可能です.

「極道度」というような特性を考えると,親が極道である場合,そうでない場
合より子供が極道になる可能性は高い.親子の相関は高い.しかしこれは共有
環境の影響です.こういう「法的手続きによる社会的実験」によって性質が明
らかにできる特性は限られています.ほとんどの特性は行動遺伝学的なパラダ
イムにたよるしかないのです.「相関は高くともこれは環境の影響である」と
いう知識は教育的役割の期待される裁判所の調査官にとって重要であるように,
集団によって処遇を変えなくとも,行動遺伝学から導かれる知見は教育的に有
効なのです.

「瓜の蔓にはなすびはならず」という諺を,心理学者が聞いたら,「それは,
遺伝か,あるいは,環境の,少なくともどちらか一方が,その特性を説明する
のに有効である,という状態をさす諺ですね」と冷静に答えるのが正解です.

無藤> 他方で、もしかすると、戦後の豊かで平等志向の強い社会で、遺伝的制約を無
無藤>視して、環境万能の志向が強くなっているのかもしれません。早期教育熱はその
無藤>現れかもしれませんが、正確には、遺伝的影響と見えることは無視できないので、
無藤>その代わりにごく小さいときの影響を重視して、それがよかったから今頭がよい
無藤>のだとする正当化する考えになったのではないでしょうか。

無藤> 早期教育の根拠は心理学的にはほとんどないので、教えれば文字を覚えるにせ
無藤>よ、別にそれで頭がよくなるわけではありません。頭の善し悪しを取り扱ってい
無藤>る知能の研究はもっと基礎的な情報処理メカニズムの個人差を扱っており、それ
無藤>は生得性が強く、容易に教育訓練では変わりません。教育訓練で変化しうること
無藤>は、知識内容に依存するので、特別に幼い時期がよいとも言い難いでしょう。

ご指摘には賛成します.しかし,この部分は,安藤論文あるいは行動遺伝学と,
どう関係しているのでしょうか.私は,直接的には関係しない議論として読みま
した.

と,学術的にはいろいろ書きましたが,4月からお茶大には,非常勤で伺います.
これを機会に,ご指導・ご鞭撻,宜しくお願い申し上げます.

----------------------------------------------------------------------
Hideki TOYODA Ph.D., Associate Professor,      Department of Sociology
TEL +81-3-3985-2321 FAX +81-3-3985-2833, Rikkyo (St.Paul's) University
toyoda (at) rikkyo.ac.jp  3-34-1 Nishi-Ikebukuro Toshima-ku Tokyo 171 Japan                                  
----------------------------------------------------------------------

スレッド表示 著者別表示 日付順表示 トップページ

ここは心理学研究の基礎メーリングリストに投稿された過去の記事を掲載しているページです。