岡本@金沢大学文学部です。
「[fpr 951] Re: 手回し計算機」についてです。
>うんざりするほどスモールステップに,愚直に式を導出しても,
>教科書はそんなに厚くならないことを,拙著では示したかったのです.
これは必ずしもそうではないと思います。私の場合は、愚直な導出にも
努力しながら、ページ数も気にしました。
また、DTPの時代であっても、印刷屋さんにとって数式は厄介なものの
ようです。
>ひとが1行で導けるところを,5行も6行も費やして導いている
>かもしれず,(こういう指摘は執筆中に何度かされて,穴が
>あったら入りたいくらい恥ずかしかった)
これは違うのでは、というのが今回のコメントの理由です。
ある大家のお若い頃の御著書ですが、証明のうっとうしい箇所が
ありました。講義ノートを作る上でか何かの理由で、別証明を
試みてみると、簡単に証明できたということがありました。
また、別の大家のお若い頃の御著書ですが、数学の教科書では
かなりのスペースで証明されていることが簡単に数行で証明されて
いたものがありました。不思議に思ってその証明をじっくり見てみると
記号の意味が途中で変わっていました。
私が数学教室(京大)の学部生だった頃、次のような噂話が
ありました。
ある秀才が教授の出した問題を非常に強力な定理を使って
証明した。その教授は「鶏を割くに牛刀を用いた」と良い評価を
なさらなかった。
問題を解くだけなら牛刀でもよかったのだと思います。
しかし、いろいろと証明していく過程で学べたはずのことが
抜けてしまうということなのだと思います。
これも、数学教室の学生だったときの話ですが、
ある先生が「trivialとして証明の書いてない場合は証明が
難しい場合がある」といって、使用されていた教科書でtrivialと
説明されていて証明の省かれていたところをきちっと証明
しなさいという宿題を出された、ということがありました。
trivial to prove = difficult to prove
ということでしょうか。
教科書の場合、簡潔な証明しか記載されていないというのでは
情報が偏ってしまう虞もあります。
簡潔で本質をついた証明という見方もできますが、長い証明には
それなりの情報が含まれていると思います。
本にはこれ以上短い証明は存在しないというものしか書いては
いけないという制約があれば、たいていの人は困るのではない
でしょうか。
短い方が必ずしもよいとは限らないということは、プログラミングの
場合にもいえるのではと思います。
拙著の2項検定のプログラム(リスト2.3.1.1.)では、2.3節の式に
そのまま対応する形でプログラムが書いてあります。普通のデータの
場合これで十分で、この方がプログラミングが初めての人にとっては
よいと思ったからです。
しかし、区間推定のプログラム(リスト3.2.5.1)では組み合わせの
計算の効率化を行っています。これは、このプログラムをランダマイ
ゼーション検定の結果に用いた場合、計算時間が長くなるからです。
いまのパソコンの計算速度はかなり速くなっていますから、一昔前の
効率化優先のプログラミングの必要性は低くなっています。
岡本 安晴
C00279 (at) simail.ne.jp
ここは心理学研究の基礎メーリングリストに投稿された過去の記事を掲載しているページです。