[fpr 1586] What does mean " critical" ?

AYA Sugimura

杉村綾@慶應大学・教育学専攻・院生(ただし休業中)

長文ですので、お時間ある方はお読みください。

> On Sat, 15 Jan 2000 16:18:44 +0900
>  wrote:
> > (略)の立場で,(略)の批判をしていると取られている

すみません、ひとつ伺ってよろしいでしょうか。
「批判」という言葉から、
つい "critical"という言葉を想起し、
現時点での、その意味の複数の意味に
ついて考えこんでしまったのですが・・・;;

なんだか、かなりのすごいエネルギーを生み出すためには、
「爆発」させることが必要で、
それはわれわれの生活のためにとっても必要なもので(電気とか)、
なんか、最近それで確率的に(?)「起こるはずのない
(期待値ゼロといえばいいんですか、ここのMLでは?)」
事故とか起きちゃって、かなり心理的にも、社会的にも、
ショッキングな現象が発生しちゃっていますよね?

これって、(統計)数学的にはどうなんでしょうか?
なんか、10%有意で、副作用で胃炎になるくらいの方が
かなりまし、って思えばいいんでしょうか??

すみません、そのへん、できれば、お詳しい方、
お願いします。

あと、今日は、阪神大震災から5年、という日とかで、
(すみません、当時関東在住のため、理解浅いです)
「PTSD」とかいう専門用語、これまた連想してしまい、
そのへん、「なって」しまったら即対処できる(精神?)
医学レベルにまでに、我が国は進んでいるのだろうか、はて?
などと、かなり疑問を感じつつ、今朝の朝刊を読んでおりました。

とりあえず、先述の事故に関しては、物理学ど素人なりの
理解としては、
ウランが集まり過ぎてしまって、「臨界」に達してしまったのが
原因だとか(このへんの発生メカニズム等、管理システム等
については物理とか理工系の先生方がご専門だと思うので
深追いはしませんが)。

とりあえず、教育学専攻の院生として、教育学的に大変問題だ、
と感じてしまったのが、
なんでも、「研修」を20年以上もおろそかにしてしまった、
という事実です。

やはり、現場の「科学」教育をどうするか、ということになる
のでしょうか。しかし、わたくし、おそらく、「科学」的研究
を行うにあたっての基礎知識(やはり「数学」ですか?
ただ、いったいどの範囲までをここでは共通項として共有され
ているのかはわかりませんが)
を持ち合わせてはおりませんので、どの程度まで「教育学」的に
思案したらよいのか自体、考えあぐねております。
そのへん、どうなんでしょうか?

最後に、
あまりにも最近はショッキングなニュースばかりが
続いて、精神的にもうちひしがれているため、
1970年代に出版された文庫本、広中平祐と小澤征爾の対談集
「やわらかな心をもつ−僕たちの運・鈍・根−」
を読んで、心を安らがせています。

やはり、こういう世情下においても、心を安らがせる
ために、どうしたら、適応的(adaptive)になれるかを
つい、考えざるをえませんが、
やはり数学音痴のため、「数式」は少なくとも
頭の中には出てきません・・・

おまけに。
個人的に、高校の時英語の先生が、
コピーを配ってくださった、
コラム『天声人語』(朝日新聞)(日付不明)
下記の記事を大事に保存してあります。
お時間ある方は、お読みください。

**************************************************************************
■西堀栄三郎さんが残した言葉には味のあるものが多い。「和ではなく積」
  というのはそのひとつだ。

■1957年2月から1年間、南極観測隊の越冬隊長として昭和基地にとどまった。
  総勢11人、個性の強いサムライばかり。「同じ性格の人たちが一致団結
  しても、せいぜいその力は『和』の形でしか増さない。だが、異なる性格
  の人たちが団結した場合には、それは『積』の形でその力が大きくなるはず」
  という考え方に徹し、成果をあげた。

■個性を重んずる。個人の創意工夫をたっとぶ。それは「忍術でもええで」
  という言葉に表われている。人に何かをやってもらおうと思えば、「責任
  を持たせ切迫感を持つように追いやるのが理想的」と考えた。とにかく自分
  で工夫、実行したまえ、と任せる。どんなふうにでもよい、「忍術でも…」
  というわけだ。

■現場に学ぶ実学的姿勢も徹底していた。工場などの現場の人に、「落書き帳
  を書いてください。私の悪口でもかまへん」と頼む。時どき見に行って「こ
  れ面白いやないか。どないなってんのや。」「こら特許になるで」。ヒント
  を与えるのがうまいと同時に自らも現場の声を思索の糧にしていた。

■「10年ひと節(ふし)説」という言葉はその生き方を表わしたものだ。実に
  いろいろな仕事をした。京都のちりめん問屋に生まれ、京大理学部卒。助教授
  になったあと東京電気(現東芝)に入社。電電公社特別研究室長、南極観測
  第一次越冬隊長、日本原子力研究所理事…とさまざまだ。「共通しているのは
  未知を探りたいということ」だった。

■探る、といえば探検や登山に残した足跡も大きい。戦前、積雪期の北岳初登頂、
  白頭山の厳冬期初登頂を記録する。戦後初めてネパールに乗り込み、ヒマラヤ
  登山の道をつけた。京大と東大の合宿中に作詞したのが「雪よ岩よ/われらが
  宿り」の雪山賛歌(さんか)だ。「山よさよなら/ごきげんよろしゅう」。
  八十六歳で亡くなった。

**************************************************************************

Thank you for your mail ! (^−^)

 =:+:=:+:=:+:=:+:=:+:=:+:=:+:=:+:=:+:=:+:=
      杉村  綾 (AYA Sugimura)
  E-mail <ayachan (at) media.ne.jp>
 =:+:=:+:=:+:=:+:=:+:=:+:=:+:=:+:=:+:=:+:=

スレッド表示 著者別表示 日付順表示 トップページ

ここは心理学研究の基礎メーリングリストに投稿された過去の記事を掲載しているページです。