[fpr 2389] 調査と実験

Yasuharu Okamoto


 岡本@日本女子大学です。

[fpr 2383] Re: 調査と実験において:
>知覚心理学といってもいろいろありますが、感覚の強さを測るという場合には「測
定」を
>していることになると思います。

と書きましたが、これでは知覚心理学では「測定」というつまらないことで時間を
潰しているのかという誤解を招く虞がありますので補足します。また、私が使った
「測定」という言葉は、長谷川さん([fpr 2382] Re: 調査と実験)の
>知覚の実験のロジックは、ぢつは実験ではなくて測定だとか、構造化面接と同じ
だ、などと
>いったら怒られそう...
における「測定」とは想定している内容が異なるのではという感じがしてきました。
これは
長谷川さんと私が同じ研究室で院生時代を過ごしてきたことによる解釈ですので、こ
のことも
書いておきたいと思います。

 まず、”知覚心理学における「測定」がつまらないものではない。”ということで
すが、
知覚心理学における測定は、精神物理学(psychophysics)としてFechnerから始まっ
たものが
あげられます。Fechnerは、精神と外界の物理刺激との関係を探求するという問題意
識から
感覚の測定を行ったわけですが、この測定の問題はStevensにおいては心理学が科学
である
ことの基礎付けの問題として位置付けられています。心理学が科学であるためには、
そこにおいて問題とされている科学法則における概念は数量的に表されて、法則は数
式による
表現が目指されなければならないと考えられていました。この考え方が数量的分析が
科学的心理学において重視されてきたもとであると思います。Stevensの考え方は
数理心理学の分野においてmeasurement theoryとして理論的に研究が進められ、
最近は、科学的法則がノンセンスでない(meaningfulである)ための条件として
測定(尺度)の問題が扱われたりしてきました。
 また、精神物理学における測定は、現在ではその妥当性が問題とされたり、
また、単なる測定ではなく感覚や判断の機構との関連で扱われたりしています。
(精神物理学ですが、最近は心理物理学という人もいます。この方が工学部などの
人たちにはわかりやすいとか主張されています。しかし、心理学の授業を受けて
いない人にもわかりやすくということなら感覚心理学とでもいう方がわかりやすい
と思います。心理物理学では、なぜ物理学なのだという違和感が伴います。私の
学生時代には物理学帝国主義ということばがありました(京大理学部だけ?)。
ここでは、先達に敬意を表すという意味で精神物理学という言葉を用いました。)
 「測定」の問題自体は、心理学においては現在でも理論的に基礎的で重要な問題で
す。

 長谷川さんが
>知覚の実験のロジックは、ぢつは実験ではなくて測定だとか、構造化面接と同じ
だ、などと
>いったら怒られそう...
と書かれたとき、私と共通の研究室の先輩方の考え方が念頭にあったのではという気
が
してきました。この場合は、「測定」は単なる測定でしょう。私が院生の頃、周りの
先輩には「心理学はデータを採っておればよいのだ。」といっていた人たちもいまし
たし、
先輩のある大先生は学会でお会いしたとき(数年前)「理論なんかやらない方がよ
い。
データだけが大事なんだ。」という意味のこと(正確には覚えていません)をおっ
しゃい
ました。大先生のおっしゃることなので何か含まれるところがあったのでしょうが、
「なんとナンセンスな!」と思いました。知覚心理学には確かに、データさえ
採っておれば研究をしていることになると言っている人がいます。しかし、データの
価値・意味は理論との関係で判断される(無意識的な場合も含めて)ことですので、
理論抜きのデータはナンセンスです。関係している理論が明示されていなくても、そ
の人が
「データ」という言葉を使っているときは何らかの理論(あるいは作業仮説)が前提
と
されています。

 個人的なことで恐縮ですが、長谷川さんの文章を読むと院生のときを思い出すこと
が
多いです。

日本女子大学心理学科
岡本安晴



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