松下戦具(マツシタソヨグ)@大阪大学M2 独立変数は必ず操作変数でなければならないのか、 との問題提起に自分なりの考えをひとつ。 僕(実験系心理学)なら「実験計画を立てる時は、 そうあって然るべき」と思います。 しかし、算術的な観点から考えると「必ずしも操作しない」 とも思います。 そのあたりの齟齬は研究スタンスから由来すると思います。 すこし乱暴な言葉ですが、便宜上、統計屋と実験屋に わけて考えてみます。 統計屋は帰納的なスタンス、実験屋は演繹的なスタンスの 匂いがします。 得られたデータから有効な情報をうまく抽出して 結論を導く(=帰納的)のが、行動計量などの統計屋の 妙(たえ)だと感じています。 一方、実験屋は(そうやって導かれた説などを)必要最低限の 変数だけを残して実験を組み、証明すること(=演繹的)に 力を注ぎます。 ですから、実験屋にとって、データは「出ちゃった」もの では都合が悪く、「操作して出した」ものである必要が あります。 (剰余変数についても、「いかにしてデータからふるい 落とすか」ではなく、「いかに、データに出さないか」 が大切になってきます。) ここで「男女差で分散分析」という例をあげてみると、 実験屋は実験デザインを組む段階で、男10人女10人、 というふうに「操作」しているはずなのです。 もちろん、「出ちゃった」データを探索的に分析する こともありますが、それは実験結果としては強くない ので、次回の実験でそこを操作し、やはり演繹的に証明する 必要があります(本当は)。 「研究法」のテキストでしたら、おそらく演繹的な方法論に 力点をおいた解説になっているのだと思います(実際は 帰納と演繹の繰り返しですが)。 「研究者のつくり出す原因は独立変数」という大胆な 言い回しも、用語の厳密な定義としてはよろしくない かもしれませんが、感覚的には理解できます。 「すくなくとも実験計画を立てる時はそうあるべきだ」という ことだと思います。 ((実験屋としてはそこよりも、実験者効果なども 含まれてそうな響きのほうが気になります)) 上記、極端な表現や無礼な語を使用して失礼しました。 方便だと思ってお許しください。 また、僕が論点を理解しておらず上滑りな長文を書いた 可能性もありますので、そのときはおしかりください。 マツシタソヨグ
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